河竹黙阿弥終焉の地碑とは

江戸から明治初期にかけ活躍した歌舞伎、狂言作者、河竹黙阿弥の終焉の地。
河竹黙阿弥は文化13(1816)年2月3日、江戸日本橋に生まれ、天保6(1835)年五代目鶴屋南北に入門し天保14(1843)年には立作者となり二代目河竹新七を襲名し、歌舞伎俳優四代目市川小団次には「忍ぶの惣太」を五代目菊五郎には「弁天小僧」を書き有名になる。引退後、黙阿弥と改名した。生涯、約360編の作品を残し明治26(1893)年1月22日、76歳でこの地にて死去。
| 名称 |
河竹黙阿弥終焉の地碑 (かわたけもくあみしゅうえんのちひ) |
| 住所 |
東京都墨田区亀沢2丁目11−11 |
JR総武線各駅停車両国駅より徒歩約15分
両国国技館
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